これまでの経歴や趣味など
少しずつ追加していこうと思います。
どうでも良いことも含めて長々と書いていきますので
ご興味のある方だけ気になるところを読んでいただければ幸いです(^^;

小学生時代

大阪市内でしたので自然はありませんでしたが、
公園で体を使って遊ぶ毎日でした。

何でも人に言われたことをその通りにやるだけという
まあ良く言えばおりこうさんタイプでした。
逆に指示がなければ何もできず、
失敗を恐れ、チャレンジ精神のない
ちょっと面白味のない子供だったなあと思います。

5年生から少年野球を始めました。
どこのチームでも子供たちは一生懸命やっているのに
指導者はエラーやミスをするとただ怒鳴る人が多い。
エラーをしたくてやってる子なんていないんですけどね。
結果、エラーしないようにビクビクしながらプレーをし、
余計にエラーをしやすくなる・・・という悪循環。
おかげで練習や試合は全然楽しくなかったのを覚えています。

鉄棒や縄跳びなど、練習では1回もできたことがないのに
本番だけうまくいってしまうというのがよくありました。
これは何事も一生懸命やりすぎてしまい
追いつめられると興奮してリミッターが
外れてしまっていたせいなのかなと今では思います。
(これが社会人となってから災いとなります。)

変に格好をつけてか、女の子を意識しすぎてか、
女の子に優しくなかったなあと反省しています(^^;

今の小4の娘を見ていると本当に恥ずかしいくらい
とにかく幼稚な小学生でした。

中学時代

屋外で走り回っていた小学生の頃とは打って変わり
中学生の頃は完全にゲーム一色となりました。

特にドラクエやファイナルファンタジーといった王道RPGや
三国志、信長の野望といった歴史シミュレーションゲームにハマりました。
ゲームは、ゲーム中のキャラが強くなっていくとともに
自分の腕前も上がっていくので、その成長が楽しいんでしょうね。

ゲームにハマりすぎ、ファミコンでは飽き足らず
もっと処理能力の高いNECのPC-9801(キューハチ)という
パソコンでまでゲームをしていました。

中学生の頃はゲームを中心としつつ、いろいろなものにはまりました。

大相撲がおもしろい時期でした。
横綱と大関が千代の富士、北勝海、旭富士、大乃国、小錦、北天佑、霧島と確か7人もいて、
中日あたりまで全員が全勝なんてことがあったように記憶しています。
今見ると力士がキャラクター、取組みともに個性があっていいですね。
後に格闘技にはまり出しますが、そのきっかけだったかもしれません。
筋肉マンの霧島の吊り出しが好きでした。
ちなみに私の得意技は下手出し投げです・・・

F-1も最高におもしろい時期でした。
セナ、プロスト、マンセル、ベルガー、パトレーゼ、ブーツェン・・・
やっぱりドライバーの個性がすごいのが
楽しかった理由であるような気がします。
個性的なドライバー同士がお互いに批判し合いながらも
全体としてはうまくまとまっていて
すごく楽しい雰囲気ができている感じがしました。

ゲームがきっかけで横山光輝の三国志(全60巻)にもはまりました。
これもやはり登場人物が個性豊かな点が魅力だと思います。
その後中国に留学するまでになるとは
この時点では誰も想像していませんでした。

今思うときっかけはどうであれ、成長の楽しみと
個性的な人物へのあこがれを少し感じ始めた時期だったようです。

高校時代

それほど勉強ができるわけでもなく、
また全然できないということはなかったので、
中堅の府立高校に無難に進学しました。

高校生活と言えばクラブ活動が大きなウェイトを占めます。
野球が好きだったのですが、
野球部は意味なく坊主頭にさせられるのが嫌で選びませんでした。
(このあたりから若干ひねくれ始めます)
結局、柔道部物語という漫画の影響を受け(単純)、
格闘技に興味を持ち始めた時期でもあったため
髪型自由の柔道部に入部しました。

柔道は背負い投げなどの投げ技がきれいに決まると格好いい。
また、小さな選手でも大きな選手を倒せるのが魅力でした。
大して強くはなかったのですが、
高校柔道を録画してビデオが擦り切れるくらい
何度も繰り返しコマ送りで動作を研究するのが好きでした。

「柔道は立ち技こそが美しい!」と寝技を嫌い、寝技はあまり練習をせず、
試合ではほぼ寝技で負けるという
バカバカしいけれどもとても楽しい柔道部活動でした。

部活以外は相変わらずゲームくらいで、
学校の学園祭などのイベントにも非協力的でしたし、
人との交流は苦手でした。

大学受験は人生初の成功体験となりました。
3年生のクラス選択では、
元々数学と物理以外はさっぱりだったので
選択の余地なく理系クラスへ行きました。

行きたい大学はすんなり決まりましたので、
後はひたすらその大学の過去問を自分で研究しました。
ひとつの大学だけに絞って対策をすれば行けそうだなと感じたので、
やる気のスイッチが入ってしまった後は
国語や社会の授業中も数学、物理の自習をしていました。
(先生スミマセン)

いくつもの大学を受験するため
広範囲をまんべんなく勉強する予備校等に対して、
「やり方次第でこんな学力でも合格できますよ」と言いたいという
性格の悪さが合格へとつながりました(^^;

自分の学力を知っている担任の先生が合格をかなり驚いてくれたのが
最高のご褒美となりました。

大学時代①

高校から引き続き格闘技にハマりました。
前田日明が立ち上げたリングスという
今で言う総合格闘技の団体が影で盛り上がっていた頃です。

見ているだけでは物足りず、
空手を習いに行ったり、
ボクシンググローブを買って公園で戦ったり・・・スポーツとしてですよ!
カラオケボックスで歌わず寝技の応酬をしたり(あれ、さっき寝技嫌いじゃなかった?)、
「見る」より「やる」が楽しいと変わってきたようです。

中学、高校とクラブには選ばなかった野球ですが、
大学では変な指導者もいないので野球サークルに入り、
週末は近所のソフトボールチームにも参加し、
自分たちの学科でも野球チームをつくり、
趣味で楽しく野球をできる環境を手に入れることができました。
以後、税理士試験受験を始めるまで何らかのチームには所属していました。

大学時代の最も大きな出来事は中国留学です。
2年生のときに学内に夏休みの1カ月中国短期留学
第一期生の募集の案内があり、
見た瞬間に「行くしかない!」とひらめきました。
みんながやったことのないことをやって
「すげー」と言われたかっただけかもしれません。

初めての海外ということもありましたが、
毎日目にするもの全てが新鮮でおもしろく、ドキドキワクワクが止まりません。
今まで過ごしてきた世界がとてつもなく小さい世界だったことを
気づかされました。
今でも心に残っている、とにかく楽しすぎる1カ月であったとともに、
自分の人生の大きな分岐点であった思います。

中国留学

短期留学での衝撃が忘れられず、また、
当時は大手家電メーカー等が中国進出を始めた頃だったので、
工学部出身で中国語専攻の学生より中国語が話せたら
どこにでも就職できるなあ、と長期での中国語学留学を決めました。
この頃から、「専門分野」+「別の特技」での差別化というのは意識しています。

場所は短期留学で訪れた4つの都市のうち断トツで雰囲気が良かった上海です。
日本ではそうでもなかったのですが、
なぜか外国人にはウケが良く、
すぐに韓国人留学生の輪の中での生活が始まりました。

今ではメジャーな韓国料理も中国で初めて食べました。
韓国人と生活をしていたのでキムチも自分たちで漬けていました。

1学期目は韓国人との生活を満喫し、韓国語が上達してきましたので・・・
2学期目はこれはまずいと毎日中国人学生寮に入り浸る生活に変えました。
それでも上海は日本人が多く、
それなりに日本人との交流もありましたので、
3学期目は当時日本人がほとんどいなかった無錫の大学へ移りました。
そこからは1日中完全に中国語のみの生活となり、
夢に出てくる日本人も中国語を話しているほどでした。
日本人が珍しい地域でもあったため、
日本人であるとバレることがほとんどありませんでした。
(ああ、それと比べて今の実力は・・・)

留学の良さのひとつは、相手を認められるようになる点です。
考え方は人それぞれ異なりますが、
育った環境が異なる外国人との間ではその差はさらに大きくなります。
相手の考えを受け入れられる人でないと
外国人との交流はうまくいきません。
その上で自分の考えもしっかり相手に伝える。
でもそれって日本人同士の付き合いでも同じだな、と気づきました。

大学時代②

帰国後は4年生のため就職活動を始めました。
想定していた通りに工学部ではメーカーへの推薦が多数あり、
中国語が話せるとなると選択肢がたくさんありました。
しかしふと、大手家電メーカーの技術職だと、
工場の敷地内に職場、寮、食堂何でも揃っているので
一生その「村」から出られなくなるのではないか、と思ってしまいました。
この先40年が(正しいかどうかは別にして)何となく想像できてしまったのです。

そんなことを考えているうちに、
元々が大きな会社で働けたら良いかなあという程度の低い志でしたので、
行きたい会社、やりたい仕事があるわけでもなく、
時間だけが過ぎて行き、見事に就職活動に失敗します。

結局、ちょうど人手を増やそうと大量に新卒を採用していた
何をする会社かも自分ではよくわかっていないところから
採用通知をいただくのみでした。

社会人へつづく・・・

【マラソン出走履歴】

      1. 2011.10.30 4時間48分38秒 大阪マラソン
        第1回大阪マラソンにノリで申込み見事当選。
        そこから走り始めるもすぐに膝を痛め練習はウォーキング。
        レース3日前に整骨院に行くと奇跡的に完全回復!
        ジャージ姿で出走。30キロまで雰囲気で走れてしまい、以下地獄。
        なんの準備もせず出走したため、20数キロで食べたきゅうりが人生一おいしかった。
      2. 2014.10.26 4時間13分19秒 大阪マラソン
        3年ぶりに当選。今度は練習して4時間切りを目指す。
        30キロほど順調に走るも26℃の暑さに気持ち負け失速。修業が足りなかった。
      3. 2015.11.01 3時間53分50秒 大阪・淀川市民マラソン
        大阪、神戸の抽選結果が出る前に今年は最低1レース走りたいと申込む。その後神戸当たり!
        応援がすごい大阪マラソン以外のマラソンは初。応援の力を思い知る。
        淀川マラソンはアットホームな雰囲気でこれも好き。
      4. 2015.11.15 3時間55分08秒 神戸マラソン
        2週前の淀川マラソンの疲れが残ってる、限界や・・・
        と諦めて減速した30キロ。その後35キロ地点で友達のサプライズ応援が!
        元気を取り戻しペースも戻る。限界は自分の中で作っているにすぎない。
      5. 2016.11.06 3時間56分15秒 大阪・淀川市民マラソン
        完全にマラソンにハマる。今年は全部外れてからの申込み。
        スピードを上げる練習ばかりしていたら距離が持たず。
        マラソンのおもしろさを改めて知る。
      6. 2017.11.26 3時間35分49秒 大阪マラソン
        久々の大阪マラソン!税理士試験から解放され練習増。
        表向きの目標は3時間半、内心は45分。
        レース中は楽しすぎて、キツイ後半も気持ちが切れず、
        時計を見ずに走っていたら結構なタイムでゴール!
        体感と実際のタイムは全然違う。時計を見ないのもおもしろい。
      7. 2018.11.04 3時間40分35秒 大阪・淀川市民マラソン
        脚を鍛えるために出走。3時間35分を目指すもバテる。気持ちだけ!?
      8. 2018.11.28 3時間59分27秒 上海国際マラソン
        初の海外マラソン。もう楽しすぎてタイムなんて気にならない(途中までは)
        詳しくはこちら
      9. 2018.12.09 3時間44分26秒 奈良マラソン
        本年3レース目。3時間半を狙うも奈良のアップダウンに撃沈。
        しかしこれが最高に楽しかった。今までで一番頑張った。
        奈良の応援は大阪より熱かった!
        かわいくて衝動買いした鹿のかぶりものがスタートの寒さ対策に抜群の効果を発揮。
        レース中は暑かったけど(^^;
      10. 2019.03.30 3時間54分36秒 なにわ淀川マラソン
        練習不足で走るとどうなるか人体実験。
        25キロで早くも体が動かなくなり歩くほどに。
        歩いたのは初マラソン以来。しばらく歩くと回復し、
        4時間切りだけは何とか死守。
      11. 2019.11.03 3時間51分23秒 大阪・淀川市民マラソン
        ゆっくり走り始めたのに早々に体が重くなる。
        後半粘れず大失速。ある程度はスピード練習も必要なのかな。
      12. 2019.11.17 3時間46分18秒 神戸マラソン
        2度目の神戸。前回同様後半大失速。
        レース後の体重が普段のフル後よりも2キロ軽かったので、
        脱水症状だった!?後半に力が出ないレースが続く・・・


笑いすぎ・・・